重巡洋艦『摩耶』(高雄型重巡洋艦三番艦)艦暦 |
1930(昭和5)年11月8日 | 進水(川崎重工神戸造船所)。 |
1932(昭和7)年6月30日 | 竣工(横須賀鎮守府所属)。同日に姉妹艦『鳥海』も竣工。
先に竣工していた姉妹艦(高雄・愛宕)とともに第二艦隊・第四戦隊を編成。 |
1932(昭和7)年9月 | 海州沖に進出して封鎖作戦に参加。 |
1937(昭和12)年7月 | 第二遣支艦隊(支那方面艦隊・南支監視部隊)の旗艦として、海南島攻略作戦に参加。同時期、高雄と愛宕が改装を受けていた。 |
1941(昭和16)年12月8日 | 太平洋戦争勃発。南方部隊フィリピン部隊の一員として作戦に従事。 26日にフィリピン部隊の任務が解かれて南方部隊本隊に復帰している。 |
1942(昭和17)年2月10日 | 第二航空戦隊とともに南雲機動部隊に編入。ポートダーウィン空襲を支援。 その後、南方部隊本隊に復帰し、引き続き南方作戦に従事している。 |
1942(昭和17)年5月20日 | 北方部隊へ編入。22日〜第二機動部隊の一員として、アリューシャン列島攻略戦に参加。 |
1942(昭和17)年8月7日〜 | 第四戦隊の一員として呉を出港。トラック泊地へ到着し、ガダルカナル島の戦いに加わる。 24日、第二次ソロモン海戦に前進部隊として参加。10月15日夜、ガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃作戦に参加 |
1942(昭和17)年11月〜 | 外南洋部隊支援隊に編入。第三次ソロモン海戦を戦った。 |
1943(昭和18)年3月〜 | 北方部隊の一員としてアリューシャン方面に進出。アッツ島沖海戦に従事。 |
1943(昭和18)年9月15日 | (8月に横須賀帰投後)南方戦線へ向かう。 |
1943(昭和18)年11月5日 | ラバウル空襲に遭遇、敵軍航空機からの攻撃により大破。11月14日トラック泊地帰投後、25日まで応急修理を受け、12月4日に横須賀へ帰投。 |
1943(昭和18)年12月4日〜 〜1944年5月1日 | 損傷修理と平行して対空兵装強化などの改装を受ける。 その後、戦艦『大和』とともに再び戦地へ出航 |
1944(昭和19)年6月19日〜 〜6月20日 | 第二艦隊の一員としてマリアナ沖海戦に参加。 |
1944(昭和19)年 10月 | 第二艦隊の一員としてレイテ沖海戦に参加。 |
1944(昭和19)年 10月23日 | 米国潜水艦『デイス』の雷撃により戦没 |
1944(昭和19)年 12月20日 | 除籍。 この地点で高雄以外の同型艦は戦没している。 |
同型艦である高雄型重巡洋艦1番艦『高雄』、2番艦『愛宕』が受けた近代化改装を受ける前に戦争に突入。後に損傷修理と平行して改装を受け、対空攻撃力が強化されている。摩耶を雷撃により沈めた米国潜水艦『デイス』は、摩耶を戦艦と間違えたことからも、その船体の大きさと兵装が重武装であったことが伺える。
2017年4月17日にジャパン マリンユナイテッド横浜事業所 磯子工場にて起工、2018年7月30日に進水。現在建造が進められている、海上自衛隊のミサイル護衛艦(DDG-179)の艦名として『まや』の名が与えられた。DDG-176『ちょうかい』(こんごう型4番艦),DDG-177『あたご』(あたご型1番艦)に続き、高雄型重巡洋艦の名が受け継がれることとなった。同型の艦(DDG-180)もすでに起工されており、まや型護衛艦として2隻が就役の予定である。 |