駆逐艦『朝潮』(朝潮型駆逐艦一番艦)艦暦 |
1935(昭和10)年9月7日 | 起工(佐世保海軍工廠)。 |
1936(昭和11)年12月16日 | 進水(佐世保海軍工廠)。 |
1937(昭和12)年8月31日 | 就役 (佐世保鎮守府に配属。同鎮守府警備戦隊に配属) |
1937(昭和12)年10月31日 | 第25駆逐隊に編入(所属は他に、同日竣工の大潮、満潮) 翌年1月13日に『荒潮』編入。 |
1937(昭和12)年12月29日 | 中支方面で活動後に帰投。 タービン翼の破損が見つかり、同型艦とともに改造工事を受ける。 |
1939(昭和14)年11月1日 | 横須賀鎮守府へ転籍。同日附で第8駆逐隊と改名。 第二艦隊第二水雷戦隊へ編入。 |
1941(昭和16)年7月30日 〜8月14日 | 第二水雷戦隊旗艦に就役。 |
1941(昭和16)年12月 | 太平洋戦争開戦当時、 マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦を支援 |
1942(昭和17)年1月 | アンボン、マカッサル攻略作戦に従事する |
1942(昭和17)年2月中旬 | 第一根拠地隊の指揮下でバリ島攻略作戦に参加 |
1942(昭和17)年3月25日 〜4月15日 | 内地帰投後、横須賀で修理を受ける。 |
1942(昭和17)年4月10日 | 修理中、第二艦隊第四水雷戦隊へ編入。 |
1942(昭和17)年6月上旬 | ミッドウェー海戦に参加。
最中に戦没した重巡洋艦『三隈』の乗員を救助、 『最上』を護衛して戦線を離脱。14日にトラック泊地へ到着。
工作艦『明石』によって応急修理を実施後、6月29日に出航。 水上機母艦『能登呂』を護衛し7月9日に佐世保へ到着。 |
1942(昭和17)年7月9日 〜25日 | 佐世保海軍工廠で修理 |
1942(昭和17)年11月1日 | (第八艦隊編入後) ガダルカナル島輸送作戦(鼠輸送/東京急行)に従事。 |
1942(昭和17)年11月12日 〜 | 第三次ソロモン海戦に参加 |
1943年(昭和18年)2月21日 | (20日の敵国潜水艦による雷撃により)姉妹艦『大潮』戦没。 |
1943年(昭和18年)2月28日〜 | 第三水雷戦隊の一員として第八十一号輸送作戦に従事 |
1943年(昭和18年)3月3日 | ビスマルク海海戦において戦没 |
1943年(昭和18年)4月1日 | 除籍。 第八駆逐隊解散、1隻残った満潮は第二十四駆逐隊に転籍。 朝潮型から満潮型へ改訂される |
改白露型(海風型)として14隻の建造が計画された。しかし、日本がロンドン海軍軍縮条約を脱退したことにより、改白露型は4隻(海風・山風・江風・涼風)建造に変更。残る10隻は設計変更されて建造されることとなった。まず佐世保海軍工廠と舞鶴要港工作部で建造することが決まり、佐世保で建造する艦を『朝潮』、舞鶴で建造する艦を『大潮』と命名。佐世保で建造された朝潮をネームシップに、大潮、満潮、荒潮、山雲、夏雲、朝雲、峯雲、霞、霰の10隻が建造された。決して長くはない艦歴だが、就役時から与えられた任務を全うするために各地域の海を駆けまわっていたに違いない。
|