このページに関する事項は、艦船及び模型に関する事項を除いて架空の事項です。




































多くの僚艦に助けられて生き残った、ソロモンの狼


重巡洋艦『青葉』(青葉型重巡洋艦一番艦)艦暦
1926(大正25)年9月25日進水(三菱造船長崎造船所)。
1927(昭和2)年9月20日就役(呉鎮守府所属)。
後、準姉妹艦『古鷹』『加古』、姉妹艦『衣笠』と共に第六戦隊編成
1937(昭和12)年10月〜
1940(昭和15)年10月
改装工事を実施(佐世保海軍工廠)。
1942(昭和17)年8月10日第一次ソロモン海戦後にガビエンヘ向かう最中、
米国潜水艦S-44の雷撃により、準姉妹艦『加古』戦没。
1942(昭和17)年10月11日サボ島沖海戦により大破。準姉妹艦『古鷹』、駆逐艦『吹雪』戦没
回着後〜
1943(昭和18)年2月
呉海軍工廠で修理を受ける。
姉妹艦『衣笠』1942年11月14日戦没、属していた第六戦隊解散。
1943(昭和18)年2月15日〜
1943(昭和18)年8月1日
第八戦隊に編入。
ニューギニア島・ガビエンにて米軍機B-17の攻撃によって大破。
軽巡洋艦『川内』によって助けられ、4月14日にトラック島へ帰還。
応急修理後、7月25日に出航、8月1日に呉へ帰還。
1944(昭和18)年3月頃第十六戦隊旗艦として通商破壊作戦へと従事
1944(昭和19)年10月23日〜
1944(昭和19)年12月12日
レイテ沖海戦中、ルソン島西方にて米国潜水艦『ブリーム』の雷撃により大破。軽巡洋艦『鬼怒』に助けられ、マニラ湾入港。
応急修理の後、5ノットでの航行が可能になり、11月6日に重巡洋艦『熊野』及び輸送船団とともにサンタクルーズ出航。
(11月15日、熊野戦没)12月12日、呉に帰還。
1945(昭和20)年
7月24日・28日
呉工廠近く(古鷹山の麓)に係留中、
呉軍港大空襲により、28日大破着底。
1945(昭和20)年8月15日太平洋戦争(第2次世界大戦)終戦。
1945(昭和20)年11月20日除籍。
その後、1947年7月1日に解体
他の艦船の艦暦では書かなかった事項に関しては、この艦船が多くの仲間に守られ、助けられ、そしてその仲間の分まで生き残ったという、上記のフレーズの意味を知ってもらいたいと、あえて記述させていただいた。
古鷹型重巡洋艦『古鷹』及び『加古』については、青葉及び衣笠が古鷹型重巡洋艦三・四番艦として計画、設計改良して青葉型になったという(或いは、古鷹型に含める場合もある)事項を踏まえ、準姉妹艦として記述した。


(復刻建造された、現在)
平和祈念艦『青葉』
歴戦を僚艦の助けによって生き残り、最後は大破着底状態ながらも、終戦まで生き残った重巡洋艦『青葉』の設計図を基に、改装された1937年10月以降の姿で復刻建造された。復元されたのは外観のみであり、動力は艦本式タービンというものを現に製造できるわけはなく、現行の大型船舶と同様、ディーゼルエンジンを動力源として用いている。また、主砲3基6門は放水機能を持って実装されており、甲板にはヘリコプターの発着も容易なことなどの理由から、海上火災などの災害支援及び海上救助の前線基地等として出動することもある。

2014(平成26)年9月18日竣工(峰ヶ崎マリンファクトリー)
2014(平成26)年9月20日竣工記念で特別展示
2014(平成26)年10月20日特別展示を終了。伊勢と共に駐泊施設へ移動。
休艦日7月24日・28日、11月20日(特定休艦)
休艦となる祈念艦の代理としての展示となります。
乗艦料大人700円(シニア600円、大学・高校生500円)
中学生350円・小学生以下無料
不定期で近海航行をする機会があり、その際には事前公募を行う。


製作過程など
細評はhttp://rifianet.blog94.fc2.com/blog-entry-643.html(Blog『BlueCastle』2014年9月18日の記事)


箱(パッケージ)概観及び内容部品。
製品:ハセガワ社製HEAVI CRUISER AOBA(日本重巡洋艦青葉)
2014(平成26)年9月16日建造開始・18日完了


艦橋及び主砲などの部品類(建造中)。


船体と船底を固定(建造中)


完成直後。造船所より、峰ヶ崎へ一時移動。長門の隣に係留


軽巡洋艦『大淀』と大きさを比較展示(手前が大淀)。
勘違いしないでほしい。青葉が小さいのではなく(重巡洋艦では小柄ではあるが)、大淀が大きいのだ。



同じく重巡洋艦である『摩耶』と軽巡洋艦『大淀』と大きさを比較(奥から、摩耶 青葉 大淀)。


1944年10月24日のマニラ、大破して航行不能になった青葉は、鬼怒に16戦隊旗艦の任を引き渡し、自らは応急修理され、本土回航…
応急修理の末に航行可能となり、本土へ向けて出航したのは11月6日。既に亡き相棒や仲間が、本土へ戻るまでずっと守ってくれていたのかもしれない。
それから70年余り、16戦隊時代に苦楽を共にした『相棒』である2隻が再び並んだのであった。
(両隣…鬼怒の左隣は榛名、青葉の右隣は伊勢)

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